ショートショートショート

ふたりだけの秘密*セティニ




 薄明かりの中でエメラルドが揺れた。
 白い指が、小さく震えながら、そっとわたしの頬をなぞる。
 まるで、とても大切な物に触れるみたいに、そっと、そっと。
 兄様と同じ、銀色の髪が細くて長い指に零れて、絡まる。
 
 わたしの瞳のなかにうつるあの人は、見上げたわたしにちょっと戸惑ったようにぱちぱちと目を瞬かせていた。
 指はゆっくりと頬から、唇へ。
 壊れたりなんかしないのに、宝石や細かい装飾の施された硝子細工にでも触っているかのようだ。
 わたしをなぞる指は少し冷たかった。もしかしたら、緊張しているのかもしれない。

 サアサアと雨の音が遠くに聞こえた。
 わたしがふるりと睫毛を震わせると、彼は目を細めた。
 口元が緩んで、単語をゆっくりと形作る。
 それと同時に、指が顎へと向かった。


 唇と、唇が触れる。
 柔らかくて、温かい。
 本当に、ほんの一瞬だけだったけれど。
  
「秘密、だよ」

 声は雨と、わたしの心臓の音で聞こえなかった。 
 
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真夏日*幼馴染学パロファバラク



 一漕ぎするたびに、夏の青空に金属の錆びれた音が響く。
「もっと早く!」
 肩に添えられていないほうの手で、何度も彼のシャツを叩いては急かす。時間が無いわけではなかった。ただ、彼女が一人で自転車に乗るよりかはずっと遅かったし、そうしていないといけなかったからだ。
 自転車を漕いでいないのに、やけに速い鼓動を掻き消すようにもう一度大きく声を張り上げた。
「あと三分! 三分でついて!」
「無理に決まってんだろ!」
 押しつけられた無理難題に、前方に聳える上り坂を見つめたままの金髪の彼が呆れたように叫んだ。
 緩やかな上り坂は、田舎道らしく綺麗に整備されたアスファルトとは程遠い。左右を青々と茂る木々に囲まれ、ところどころむき出しの砂利もある。夏の木漏れ日の中、自転車が悲鳴を上げる音を掻き消すように、せわしなく蝉が鳴いていた。
 早朝だからまだ日差しも温度もはきつくはない。天気予報では日中は今日も変わらず暑く、夕方は一雨来ると言っていたはずだ。いつも通りでいけば、夕立ちの前には校舎を離れている。
 夏休みになってからは毎朝迎えに来てくれる彼は、同じ部活ではない。自転車のかごにのっているのは二人分のスポーツバッグだけで、彼女のほうは竹刀を肩にかけていた。
 弓道部と剣道部。
 同じ武道館を利用するのに便利だから。同じ時間から練習をはじめるから。家が近いから。
 理由をつけてはこうやって一緒に通学しているが、本当は何よりもこの時間が楽しいとお互い口に出したことは無い。
 向かい風にセーラー服のスカートがはためく。髪を靡かせる風は、涼しくて気持ちが良い。夏の風に揺れる彼の金髪は、きらきらと木漏れ日から差しこむ光を反射して、太陽のようにまぶしい。
「というか、お前な、早く! 自転車! 買えよ!」
 息も絶え絶えという様子で彼が号んだ。けれど怒気が含まれているわけではない。
 もう何度も繰り返されたやりとりだ。
「いつも言ってるけど、もう持ってるし、スカサハがもっと早くに出るから無理」
「じゃあバスで通え!」
「お金がもったいない」
 さらりと彼女が呟くと、大げさな溜息が耳に届いた。
「スカサハに送ってもらえばいいだろ」
「……馬鹿」
「あ? 何か言ったか?」
「なーんにも! ほら、もっと早く!」
 小さく零れ出た言葉を掻き消すように、明るく声をあげながら、何度もその肩を叩く。数回また軽口を交わし合いながら、自転車は前へ前へと進んでいく。

 坂を昇りきると、向こう側には色鮮やかな風景が広がっていた。どこまでも広がる田畑の遥か彼方には海と空が混じっていた。
 坂のふもと、夏の緑の田園の奥に白い校舎が見える。そこまでは、一気に下り坂だ。
「ファバル」
 肩を握る手に、彼女は僅かに力を込めた。ほんの少しだけ上擦った名前を呼ぶ声は、蝉の大合唱にうまく誤魔化されている。
「なんだよ」
「あのね――」
 がくん、と一度大きく自転車が揺れ、坂道を加速する。
 口に出した言葉は、疾走する自転車の音に掻き消されて、眩しいくらいの夏空へと吸い込まれて消えた。


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冴えかえる蒼*フィンティル



 砂浜を撫でる波音を乱すように、水面を蹴る。
 助けが来てくれた。その事実にほっとして、ようやく肩の力が抜ける。魔道書を握りしめていた手は未だ震えていた。
 危機を救った騎士は少年だった。いや、少年と青年の間、と言ったほうが適切かもしれない。
 年若さを感じさせないくらいの器用な槍さばきだった。
「御無事でしたか」
 馬から飛び降りた彼のマントが、海風にはためいた。揺れた青髪の下からのぞいた顔に、ティルテュは驚いた。
 想像していたよりもずっと幼かったのだ。自分の年齢とさして変わらぬ少年が、表情を変えずに淡々と、そして的確に相手を散らしていた。
 安堵したような柔らかな声のあと、すぐに息を呑む音がはっきりと聞こえた。
 それが果たして、自分のものだったか彼のものだったかはわからない。


 同じ色だった。
 空と、同じ色。
 吸いこまれそうな、蒼。
 今まで見てきたどんな宝石にもかなわない空がそこにあった。


「ねえ貴方、名前は……」
 水面を反射して煌めく青髪のした、僅かにその小さな空が揺れた。


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ましろの花束*ホリブリ



「大事な妹みたいなものだ」
 言い聞かせるように呟かれた言葉に、思わず微笑んだ。隣の彼はじっとただ、見つめていた。
 赤い床。歓声をあげる人々。視線の先には、幸せそうに笑う花嫁と花婿の姿がある。
「一発言ってくればいいのに。泣かせたらただじゃすまさないぞ、って」
「そういうわけにもいかないだろ」
 ただ、穏やかに笑う。
 嫉妬や羨望ではない。慈愛に満ちた表情だった。
「それに、惚れた女が選んだ男だ。幸せになれるならそれでいい」
「まあ、随分と優しいものだね」
 言いきったホリンに、子供っぽくブリギッドは笑い声をあげる。祝いの席に湿っぽい出来事や表情は似合わない。
 笑いながらも、ただ純粋に幸せを願う表情に、彼女はどこか興味を惹かれた。


 眩しく明るい太陽ではなく、光を受けて穏やかに照らす月。
 彼の剣の腕を讃えたものだったが、何となくそれは彼自身すら表しているような気がした。
 少なくとも今まで自分の周りにはいなかった人間だ。物静かを通り越した無口ではあるが、だからといって冗談が通じないわけではない。剣のこととなると多少目の色が変わる。けれど表情がそう多いわけではない。少し変わった青年だ。
 隣で腕を組んでいる彼は、そういう人間だった。


「よし、わかった。今夜は飲もう。何だって聞くよ」
「よりによって酒で競うか? 酔い潰れても知らないぞ」
「女だからって甘く見たね。後悔するのはそっちの方だよ」
ブリギッドは、声をあげて笑うと、祝宴の杯を取り、一気に飲み干した。酒が喉を焼く感覚が染みわたるが、悪くない。とっておきの祝いのために、用意された上等なものだ。
その様子を見て、ホリンは表情を緩めると、同じように酒をあおった。
「へえ、面白い男じゃないか」
「そっちも、妹とは似ても似つかないな」
「妹のほうが好みだろう?」
「いや、お前のほうが好みだな」
 言いながらも次々と祝杯を嚥下していく。ブリギッドの中で、意外だったのは、挑戦に乗ったことだけではなかった。自身のコンプレックスでもあるそれを噤むように流し込んだら、これだ。
 ホリンは、嘘はつかない人間だ。
 率直な物言いに一瞬だけ手が止まる。
 短い間だが、共にした時間でそれだけは何よりもはっきりと言える。
 慌てて杯を空にすると、隣のホリンと目があった。今度は自分から思いっきり逸らす。
 その視界に、純白の花束が映った。
 ブーケは花嫁の手を離れ、真っ直ぐこちらへと放物線を描いて飛んでくる。
 幸せを分ける花束、と妹が熱弁していた。受け取った者は次に結婚できると、ラケシスが意気込んでいた。
 ストン、と腕の中に落ちたそれを見やる。


「大変だ、幸せにならなきゃいけない」
 悪戯っぽく笑うと、ブリギッドは一輪その花束から抜き取る。
 この花束で幸せになれるなら。いや、幸せを分けてもらえるとしたら。
 驚いたように目を瞬かせる隣の青年に、彼女は笑いながら真っ白な花を押しつけた。
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