優しい風。だいすきなあの方と同じ。 雑踏の中、林檎ひとつぶんくらいあけて、その隣を歩く。 だんだんと太陽が空へと昇り始め、市も活気づいてきていた。 ときどき隣を見上げるたび、大好きなみどりの瞳と目があって、慌てて逸らしてしまう。ちょっと困ったように苦笑する顔を端でとらえて、わたしはまた真っ赤になってしまった。 こんな好機は、めったにないというのに。 きっかけは、向こうがくれた。 昨日の晩、いつも通り、兄様と、フィーさんと、そして、セティ様と同じ卓を囲んで食事をとっていたとき、のことだ。 斜め向かいにすわるセティ様は、食べながらもちらちらとわたしのほうを見ていた。 何か、変なことでもしてしまったかしら? 何か食べ物がついてしまっているとか? 少し不安になって、いったんカチャリと食器を置くと、セティ様の肩が大きく震える。 「「あ、の」」 声は同時だった。しまった、と思って慌てて口を手で押さえると、セティ様も慌ててどうぞ、とわたしに先を促した。 わたしは首を振って先を譲ると、一度小さくごめんと謝ってから、大きく彼は息を吐きだした。 「明日、一緒に出かけないか?」 「え?」 「はぁ!?」 今度は兄様とわたしの声が被る。再び口を手で押さえると、兄様はぎろりとセティ様を睨みつけて恨みつらみがたっぷりこもったように言う。 「なんでだよ、ふざけんな。お前なんかとティニーを一緒に出歩かせられるか!」 「に、兄様……」 慌てて止めに入ると、兄様は隣に座っていたわたしを力強く抱きしめる。ちょっと力がこもりすぎていて、苦しい。 「アーサー、ティニーが苦しがってるだろう」 「そーよ、ほら、離しなさい」 「こんな馬の骨にやれるかっ」 セティ様とフィーさんのご注意もむなしく、兄様はよりぎゅっと腕に力をこめた。 「アーサー、」 フィーさんが呆れたようにひとつため息をついて、それから机に身を乗り出す。兄様の耳元でひそひそと何か囁くと、兄様は困ったようにしばらく唸ってから、わたしを抱く腕を緩めた。 痛かっただろ、ごめんな、と二人だけに聞こえる小さな声で謝罪をのべてから、ぽんぽんとわたしの頭をなでる。 視界の反対側では、フィーさんがわたしに向けていたずらが成功した子供みたいな笑顔でピースサインを送っていた。 「あの、ほんとうに、ご一緒してよろしいんですか?」 確認の意をこめて尋ねると、セティ様が頷く。 「ああ、ただの買い出しだけど」 セティ様が間髪いれずにフィーさんに殴られ、机の下で兄様に蹴られていた。 せっかくのおでかけなのだからと、持っている服のなかでも、とびきり可愛いのを選んだ。 朝にはフィーさんが部屋に訪れてくれて、帽子やリボン、靴に鞄まで一緒に選んでくれた。 お兄ちゃんはこういうのが好きなの、と屈託のない笑顔で的確に選んでいく。『こういうの』に分類されたものを頭のなかにしっかりと記憶しておいた。 城門の外で待っていたセティ様が、ただ、行こうか、と手を差し伸べた瞬間、一緒についてきてくれたフィーさんにまた殴られていた。 「そんなんだからお兄ちゃんはデリカシーがないのよ!」 「あ、いや、だって、ティニーはいつも可愛いから……」 思わず零してしまったであろう言葉に、セティ様の顔が赤くなる。わたしもそれに負けないくらい真っ赤な顔をしたのは、つい先刻のこと。 そんなこんなで今に至る。 日が高くなったからだろう。人の入りはますます激しさを増してきていた。つい先日解放したばかりの城下町だ。 人々の間に溢れ出る笑顔と活気の渦に巻き込まれながら、石畳を歩く。 そ、と指先と指先が触れたのは偶然だったのかもしれない。 思わず見上げるとまた目が合ってしまった。 けれど。 「手、繋ごうか」 上擦った声。やさしいみどり。 それがなんだかほほえましくて、とても、愛おしい。 少し震えた、その手をしっかりと握る。 逃げてしまわぬように、どこにも行ってしまわぬようににと。 「はい」 ふわりと微笑むと、エメラルドが優しく揺れた。 ← |